2002年横浜遠征日記
| 2002年10月4日(金) |
旅立ちの日は朝からいい天気で日頃の行いがよかったからかと1人納得しながら車に乗り込みいざ横浜へ。僕は岡山駅から新幹線で行く予定にしていたんで高松西から高速に乗り瀬戸大橋を渡り岡山駅を目指して走りました。途中何度か休みながら岡山I.Cを降りて駅まで行ったところで親父のいとこの娘さんの旦那さんが駅近くの学校に勤めていると言うことでそこに車を置かさせてもらいました。娘さんなんて書いたけど、小さい頃によく遊んでくれた僕にとってはお姉さん的存在なんで抵抗があるけど、それにしても本当にいい旦那さんだったんで幸せなんだろうなあと思ってしまった。車いすをおろすのも荷物まで運んでもらってお世話になりました。そのおかげで少し余裕を残して新幹線を待つことが出来た。余談になるけど駅構内で間寛平がうどんを食べてました。 13時5分無事に新幹線に乗り込むことが出来て一安心がしかし、予想していたこととはいえ個室は狭くてまた一苦労何とかは入り込むことは出来たけど親父の座るところがなくてほとんど立ちっぱなし(すまねー親父) とりあえず乗り込めたことだし新横浜までレッツゴー 早々新幹線の中でもちょっとした出会いがあったよ。小さな子供を連れた親子で、珍しそうにこっちを見ていたからぱっとそっちを見たら恥ずかしそうにしていた。そのあとちょっと話をしていたら子供は八ヶ月らしくてずっと車いすを珍しそうに見ていた。親子は新大阪で降りたからちょっとした時間だったけどいい気分になったなあ。そんなこんなで三時間四十五分で新横浜駅に到着して駅員さんに案内されてタクシー乗り場まで移動それからタクシーを待っていたらなにやら駅入り口の近くで黒いスーツを着てそり込みを入れて髪の毛をオールバックにした集団が誰かを待っていたみたいでいきなり驚かされた。たぶん皆さんの想像通りの人たちだと思うよ(^^)それからしばらくしてタクシーに乗り込んでホテルまで移動、運転手さんも優しそうな人でいろいろと話をしてくれて楽しく気分良くホテルまで連れて行ってもらった。けど、ホントにタクシー感覚で乗り込めるリフトがあるといいんだけどなんでも横浜でもリフト付きタクシーを持っているところは2社しかないらしいよ。意外と少ないのには驚き。そのあともいろいろと話をしながらホテルに着いたのは六時ぐらい、ホテルは駅からちょっと離れたところにあって急な坂道をあがったところにあるんだけど、田中邦衛の家の近くでよく散歩コースにしていたらしくて女子高生とかが騒いでいたらしい。中にはいるとついこの前行われたパンパシフィック2002に参加した選手のサインやワールドカップで優勝したブラジル代表のサインが入ったユニホームとボールが飾られてあったりしてすげーっておもわず思ってしまった。とりあえずチェックインをすませて部屋で呼吸器の電源と吸引機の電源それから車いすの充電器の電源を確保して荷物を置いて少し休んで、ロビーにほかのメンバーが来ていると言うことでいったんロビーに行き顔を合わせて話をしていたら夕食をとろうと言うことになって寿司を食べましたよ。その日はもうそのまま部屋に帰って寝ることにしたけど、何かと心配事が多くてなかなか寝ることが出来なくて困ったなあなんて思って結局、熟睡が出来なかった。 |
| 2002年10月5日(土) |
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二日目は七時ぐらいに起きて朝ご飯を食べていたら何となく体調が悪い気がしてまた部屋に引き返して横になってました。タクシーの出発時間も迫っていたんで会場に行けるのか不安だったけど何とか回復して乗り込んだけど、一緒に乗ったチーム代表家族に心配と迷惑をかけてしまいました。 その日乗ったタクシーの運転手さんは女の人でかなり詳しく道のことを知っているという気がした。出発は遅れたけど思ったより早くつきそうだなと思っていたときに突然の急ブレーキ間一髪で激突は免れたけど危うくぶつかりそうだった。何が起きたかというと斜め前を走っていた車が突然車線を変えてきたらしくて、結構そういうことは横浜では多いらしい。こえーよ横浜。 とにかく無事に会場の横浜ラポールについたのが10時30分くらい。 気分はもうすでに戦闘モードになって監督から試合に出れるのかと聞かれたときには 即答で「でます!」て言っておきました。(^^)一応ドクターに診察してもらいとりあえず試合には出られると言うことで安心安心。 それにしてもまたこうしてラポールに来れて、しかもキャプテンとしてくることが出来てうれしいものがあるなあ。はやる気持ちを抑えつつ専属のスタッフさんの案内で控え室に移動、控え室に行くと隣にはスクラッチのメンバーがいたけど何となく静かな気迫を感じた気がする。そうこうしている内に開会式が始まると言うことでアリーナの方に移動して整列しました。開会式は少し遅れて始まり今大会を運営している関東ブロックの高橋さんの開会宣言でついに待ちに待った全国大会の幕が開かれました。来賓には元日本代表の岡田武史氏やラポールの館長や横浜市長さんと凄い顔ぶれが並んでいてさすがに日本選手権はスケールが大きいなと感じた。式の中で一番歓声が大きかったのは、MVP選手に贈られる副賞が紹介されたときで、なんと中村俊介のサイン入りユニホーム(マリノス時代)おーという声があがってほんとに驚きの連続でそのあとは前年優勝の中部ブロック代表Wlngs(岐阜)のトロフィー返還、関東ブロック代表レインボーソルジャー(東京)キャプテンの選手宣誓、主審、線審の紹介なんかがありそのあとは第一試合の僕らは先にアリーナをでて、車検をするためにサブアリーナへと移動、何も問題なく通過して試合に備えて準備をしていたら、なんといつもチームでスタッフをしてくれているSさんが徳島から来てくれていてありがたいと思った。少し話をしていたらあっという間に試合開始が迫ってきていたんで焦りながら再びアリーナへ移動。コートにはいるとやっぱりテンションがあがってくるものでさらに観客の数も多くてますますポルテージがあがっていい感じの状態で試合にのぞめそうだと確信、そのあと試合開始前に写真を撮影してベンチ前で円陣を組んで気合い入れ、きれいに声がそろうか不安もあったけどみんなの気合いがそんな不安を吹き飛ばしてくれてキャプテンとして気分良く試合にはいることが出来たし、チームの課題だった出だしの堅さも振り払うことが出来たと思う。一回戦の対戦相手は中部ブロック三位のF.Cクラッシャーズ(長野)で中部ブロックは強豪揃いと言うことで厳しい試合になるだろうということは覚悟していた。けど、練習通りに行けばどうにかなるだろうという気持ちのほうが強くかったとおもう。 僕は4.5キロのDFでスタメン出場、キャプテンと言うことでコイントスの裏、表(100円玉)を選んでいよいよキックオフ!ボールは相手からそして主審のホイッスルでF.Cレボリューションがついに全国の舞台でデビューをを果たしました。試合は初めから全力でいけたのが功を奏して相手も動揺していたのか相手陣内でプレーをする時間帯が長く続いてゴールエリア付近でのフリーキックもあったりして勝てるぞという気持ちが少しずつ出てきていた。そのあとさすがに激戦地区中部から出てきただけあって力強いというかシャープな攻撃と徹底したスクリーンブレーで応戦、ぼくは10分で交代してベンチから祈りまくる「持ちこたえろー」しかし相手の徹底したスクリーンプレーがウチのオフサイドを誘い(結果的にはオフサイドでなくても入っていると言うことでアドバンテージをとったけど)ついに均衡を破られた。結局前半はそのまま終了、それでもまだまだチャンスはあると思っていたし、ほかのメンバーからもまだまだいけるぞというものを感じたんでもう一度気合いを入れて後半出場のメンバーを送り出しました。監督は残り五分で勝負に行くと言っていたんでもしかしたらまた出番があるかもしれないと思って、とりあえず声を出していこうと思って声を出してました。前半でてみて相手の攻撃パターンが分かっていたんでそこのところを指示してあとはメンバーを信じてみていたけどおもわずピッチ内に近づきすぎて監督に注意を受けてしまいました(^^;)それにしてもウチのキックインのフォーメーションがかなり通用することが判明してこれはいい収穫の一つだったと思う。後半もなかなか流れをつかむことが出来ずに一進一退の緊迫感の中時間が無くなっていくだけで、それでも追いつけると信じていたんで祈り続けその期待に応えてくれていたと思う。そして運命の残り五分が近づいてきたところで出番が回ってきた。とにかく攻撃的に点を取りに行こうという思いだけでディフェンシブの意識を捨ててくらいの気持ちで食らいついていった。しかし、無情にも試合終了のホイッスルが鳴りジ・エンド本当に悔しい思いをしました。あんなに悔しい思いをしたのは久しぶりだったんで、内心やりきれない気持ちでいっぱいでしたね。それから相手チーム、オフィシャル、主審、線審さんにお礼をして控え室に引き返し帰りの支度をしました。そこでも見慣れた顔がと思っていたら何年か前に愛媛から来ていたUさんじゃないっすか。どうやらいまは横浜のほうにいるらしくて見に来てくれていたらしい(試合前にちらっと見かけた気がしたけど)そのあと少しだけ試合を見てきたけど地元横浜のクラッカーズの応援は凄かったあんな応援団がいるなんてめちゃめちゃうらやましいなと思った。 そのあと4時くらいにラポールをあとにして近くにラーメン博物館があるということを調べてあったんでそこにチーム代表家族と一緒に行ってきたけど、中は昭和三十年代の町並みが再現されていて駄菓子屋とかもあったりして面白かった。もちろんラーメンは全国の有名なラーメン店が確か八件あってぼくが入ったのは八戸のラーメン店だった。けど、試合の疲れがでたのかスープを少し飲んだだけで店を出ました(ラーメンもったいねー)ラーメン博物館を出てホテルに帰るまでは運転手さんの計らいで横浜の名所を案内してもらいながら帰ることになり山下公園やランドマークタワー、コスモワールド、クイーンズスクウェア、赤煉瓦倉庫と有名所を見ながらホテルへ帰りました。夜景の写真はこちらのページで。ホテルに着いてからは速攻ベッドへ次の日は朝早いと言うことで寝ることにしたけど、なぜか背中が痛くてなかなか寝付けず結局寝たのは明け方になってからで何回親父を起こしたことか。 |
| 2002年10月6日(日) |
この日はホントに疲れがでたのか朝から何となく体調に不安があった。とにかく帰るしかないと思っていたんで駅に向かい予定通り11時の新幹線に乗り込み岡山まで直行、横浜の駅でスクラッチの監督に会いしかも乗り込むところまでお世話になりました。岡山駅に着くと行くときにもお世話になったお兄さんに迎えに来てもらって車に乗り込んで、途中でそのお兄さん夫婦に別れを告げてあとは病院まで帰ってきました。親父やほかのメンバーに心配をかけてしまい申し訳ないと思いながら無事に帰って来れて一安心しました。忙しいなか対応してくれた看護婦さんがたありがとうでした。 この日は疲れと不安で何もする気が起きなくてお土産さえも買えなくていつもお世話になっている人たちには悪いことをしたなあと少し考えてしまいました。 とにかく無事に帰って来れて(帰って来れないといけないんやけど)よかったと思っている。 |
| 最後に |
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今回は親父と2人でのたびで行くときから不安だらけでいけるのかどうか迷ったし、向こうに行ってからも不安だらけで正直言って精神的に疲れたように思う。それは三日間付き添ってくれた親父も同じだと思う。本当に感謝しているし、母の一周忌と妹の結婚式と忙しいなか横浜に連れて行ってくれてありがとう。いい思い出になったと思う。 それからこの遠征に協力してくれたすべての皆さん心の底から感謝してますありがとうございました。特にこの第8回日本選手権を運営された関東ブロックの方々素晴らしい大会だったと思います。こんなに素晴らしい大会に参加できたことはぼくの電動車いすサッカー経験において本当に忘れられないものになりました。本当にありがとうございました。 |
| ◆第8回日本電動車椅子サッカー選手権大会 試合結果 1回戦 ○Wings(岐阜)4−0スクラッチ香川(香川) Red Eagles 兵庫(兵庫)1−7レインボー・ソルジャー(東京)○ ○FORZA 山口 E.S.C.(山口)不戦勝 Yamerican Dream(福岡) A.M.F.C.エスカルゴ(愛知)1−7ビクトリーロード奈良(奈良)○ ○F.C.クラッシャーズ(長野)1−0F.C.Revolution(徳島) ESC・Bullets(長野)1−2Yokohama Crackers(神奈川)○ MAX(三重)0−9FINE(神奈川)○ Dreams 広島(広島)0−7大阪ローリングタートル(大阪)○ 2回戦 ○Wings(岐阜)2−1レインボー・ソルジャー(東京) FORZA 山口 E.S.C.(山口)0−11ビクトリーロード奈良(奈良)○ ○F.C.クラッシャーズ(長野)1−0Yokohama Crackers(神奈川) ○FINE(神奈川)15−0大阪ローリングタートル(大阪) 準決勝 Wings(岐阜)3−5ビクトリーロード奈良(奈良)○ Yokohama Crackers(神奈川)1−2FINE(神奈川)○ 決勝 ○ビクトリーロード奈良(奈良)3−2FINE(神奈川) 優勝 ビクトリーロード奈良(奈良) 準優勝 FINE(神奈川) MVP 重松弘樹選手(ビクトリーロード奈良) |